話し手:taekoさん

2015年10月に肺腺がんⅣbと診断され、現在では仕事をしながら治療を続けられています。治療の経過を中心につづられているブログでの印象そのままに、お話を伺っているこちらを元気にしてくれるようなエネルギッシュな方です。

胸にナイフで刺されるような痛みを感じた

-ご病気の診断までの流れを教えてください。

2015年の7月から8月にかけて、かなりひどい腰の痛みを感じるようになりました。それ以前にぎっくり腰のような症状を経験したことがあったので、初めはそれかと思っていました。姿勢を工夫すると痛みを軽減できるので、しばらくはそのまま生活していましたが、1ヵ月ほど過ぎると今度は歩くことができないくらい両足の股関節が痛み出しました。仕事が立て込んでいて忙しい生活を送っていたので、身体の調子がわるくてもすぐには病院に行けませんでした。とりあえず職場の近くの整形外科クリニックを受診したところ、カルシウムが股関節に沈着することによって生じる偽痛風と診断されました。痛み止めの内服薬と湿布を処方してもらって様子を見ていたのですが、1週間たっても痛みがなくならないので、もう一度同じ整形外科に行き股関節のレントゲンを撮ってもらいました。しかし、やはり偽痛風といわれ、また痛み止めの薬をもらって帰りました。そのまま2ヵ月ほど痛みを我慢しながら仕事を続けていたのですが、今度は胸骨に痛みが出てきました。その数年前に、3~4ヵ月ほど軽い咳が続いていたことがあり、そのときは風邪と診断されていました。その後も咳が出たりおさまったりを繰り返していたので、胸の痛みも咳のしすぎが原因ではないかと考えていました。後にがんと診断した大学病院の先生には「なぜもっと早く受診しなかったのか」といわれたのですが、このときはまさか大病だとは思っていませんでした。そのうちに、胸にナイフで刺されるような痛みを感じるようになりました。

-胸の痛みがひどくなったわけですね。

最初のうちは痛みに波があり、10分ほどで消えるときもあるし、30分から1時間くらい痛みが増減しながら続くこともありました。それは腰や股関節の痛みも同じで、常にずっと痛いわけではなくおさまるときもあったので、当時48歳だったこともあり、年齢や疲れのせいかなと思っていました。そのうち、そうした痛みがかなり長い時間持続するようになったので、さすがにこれは精密検査が必要だろうと思い、無理やり仕事を休んで別の総合病院を受診し、初めて胸のレントゲンを撮りました。すると、腫瘍のような影があるといわれ、現在治療をおこなっている大学病院を紹介されました。大学病院では、「おそらく肺がんと思われますが、レントゲンだけではわからないので、気管支鏡検査をおこなって調べましょう」といわれました。

ステージIVbの肺腺がんと診断される

-そこで肺がんと診断されたわけですね。

はい。遠隔転移もあるステージIVbの肺腺がんと確定診断されました。2015年10月のことです。残りの時間を有意義に過ごしましょうともいわれたので、かなり進行しているがんなのだと思いました。

-そのときは、どのようなお気持ちでしたか。

診断された直後は「そうなのか。大変だね」という他人事のような感覚でした。自分自身に降りかかってきていることだと咀嚼して理解することができない状態が数日続きました。

-どのような治療を開始されたのでしょうか。

入院してください、といわれた時点では、「化学療法(抗がん剤)よる治療になると思うので、髪の毛が抜けたりすることは覚悟しておいてほしい」といわれていたのですが、ちょうど入院初日に遺伝子検査の結果が出て主治医と面談したときに、「経口の治療薬であるEGFRチロシンキナーゼ阻害剤(以下、EGFR阻害薬)も選択できるので、どちらにするか考えてください」といわれました。もちろん治療薬の違いについての説明も受けましたが、そもそも頭が混乱していましたので、今後の自分の生活にとってどちらがよいのかまったく判断がつきませんでした。そのため「先生ならどちらを選びますか」ととっさに聞いてしまいました。先生は「どちらもそれぞれのメリットがありますが、仕事も含め、普段の生活に近いほうを望むのであれば経口薬のほうがいいかもしれませんね」といわれました。私はその言葉の意味もよく理解できなかったのですが、髪の毛は抜けないというお話もあったので、そのときは半ば賭けのような気持ちで経口の抗がん剤を選択しました。

-なかなか気持ちの整理がつかないまま治療を開始されたわけですね。

はい。入院は2週間の予定でしたが、退院日の朝に高熱が出て退院が2週間延期になりました。発熱の原因がわからず、気持ちはさらに落ち込みました。結局、翌月11月に退院したのですが、そのときは当時の記憶がほとんどないくらい落ち込んでいました。私は子どもがいなくて主人と2人暮らしなのですが、友人と連絡をとることもなく、ただひたすら一日中ぼーっと横になって寝ている年の暮でした。ちょうどそのころ、ある芸能人の方ががんと診断されたことがテレビなどで報じられていました。私は人とほとんど関わることのない生活を送っていたのですが、そうしたニュースには敏感になっていて、同じ病気の人を取り上げるテレビ番組だけは欠かさずに見ていました。当時それが、世の中との唯一のつながりだったように思います。がんを克服して元気になる人もいれば、より悪化して死に直面する人もいるわけですが、私は生存率の数値がとても気になっていて、その確率の中でだれかがよくなれば、私はわるくなるほうに含まれてしまうのではないかと不安になっていました。そのため、よくなった人のニュースに触れるとうらやましい、悔しいといった負の感情にしばしばとらわれていました。がん患者さんのブログもよく読んでいましたが、そのころは元気に明るく生活されている方のブログは読みたくありませんでした。その一方で、頑張っているけれどなかなかうまくいかない人のブログが見つかると、自分と同じ仲間に出会ったようで、ほっとした気持ちになりました。そんな負のスパイラルに陥ったような状態が2ヵ月ほど続きました。

-そうした負の感情からどのように脱却されたのでしょうか。

患者会やSNSなどを通して同じ病気の方々に出会って、だんだん気持ちがやわらぎ、この病気は私だけではないんだと思えるようになったからかもしれません。負の感情を持つのは自分だけではない、みんなも持つんだ、同じなんだと。

-患者会なども気持ちを切り替えるきっかけになりましたか。

そう思います。私は最初にオフ会のような小さな集まりに参加しましたが、患者さんたちが皆すごく勉強されていることを知り、製薬会社さんや医療系の団体の方が主催する大きな勉強会にも参加するようになりました。診断されて間もないころは、医師が医療を提供し、患者は治療を受ける側で、医師の判断に従うものだと思っていました。しかしそうではなく、がんは治療や薬についても自分で勉強しなければならない病気で、治験に参加するための情報も自分で探さなければいけないことを知りました。いろいろな情報を自分で積極的に収集し、それを先生と相談し、先生の見解を聞いて、自分で納得した上で治療を決めて進めていく病気なのだということが、患者会に参加してわかりました。ただ落ち込んではいられない、自分自身が治療に積極的に参加しなくてはいけない。そう背中を押してくれたのが患者会です。実は、本当の私は結構楽観的で、もう駄目かもという気持ちで落ち込んでいた一方で、きっと治るはずという根拠のない自信もありました。私は奇跡的に治ってしまうのではないか、いわゆる寛解というところまでいけるのではないかという、そういう思いが頭の片隅にありました。やがてその思いに突き動かされるように、とにかくがむしゃらに、何かに憑かれたように治療に向かっていきました。

-経口での抗がん剤治療がスタートしましたが、いかがでしたか。

私の腫瘍は5.5~6cmほどで、肺の左下葉にあったのですが、経口薬による治療を開始して1週間ぐらいたつと、腫瘍は半分に縮小しました。ただ、副作用もありました。休薬してまた腫瘍が大きくなることを避けたいという気持ちから、できるだけ副作用は我慢しようと思っていたのですが、辛い状態が続いたので休薬したいです、と主治医に伝えました。その後1ヵ月半ほど休薬すると、かなりよくなったので同じ経口薬を再開しました。しかし、がんは手強いですね。翌2016年の春にCT検査で腫瘍の原発巣がまた増大していることがわかりました。それで当初の抗がん剤の治療はもうやめましょうと主治医にいわれました。ただ私は、治療をやめることで腫瘍がさらに大きくなることが怖かったので、せめてあと1ヵ月は続けさせてほしいとお願いしました。そのころ、もう少しすれば新しい経口の治療薬が使えるようになると聞いていたので、それまで今の治療薬で、もたせられればいいなと思ったわけです。

-先生との関係性もとても良好のようですが、何か心がけていることはありますか。

私の場合ですが、初診のときから先生と仲良くしたいという猛アピールをします。たとえば、あまり笑わない先生であれば事前にネタを考えておき、絶対に今日は笑わせようと作戦を立てて受診したり、診察時の先生との話の中で、時々突っ込みを入れて場を和ませるようにしたりしています。そうすることで、先生との関係性をうまく築けているように思っています。もちろん自己判断ですが、先生がきちんとこちらを向いて私の話を聞いてくださったときに、先生との関係性はうまくいっていると感じます。

体力を考慮して無理をしないように生活している

-がんと診断されたとき、ご主人にはどのように伝えられましたか。

「どうもがんらしいよ」といった感じで、主人にはいち早く伝えました。そのときの主人は、「ふーん、大変だね。頑張って治療しないとね」と意外に冷静でした。ただその後、職場のごく親しい友人には泣きながら相談していたということを知って、本当はかなりショックを受けていたのに平気を装っていたのだと思いました。

-お仕事はどうされたのでしょうか。

私は、もともとフリーランスで仕事をしていました。そのお仕事が大好きで、ずっと続けたいと思っていましたが、フリーランスということもあって、職場に病気のことを伝えると契約を切られてしまいました。肉体的にも精神的にも落ち込んでいた時期でもあったので、社会復帰はしばらくできなかったのですが、治療薬を変えて体調が落ち着くと、また仕事をしたいという気持ちが出てきました。私は何でも隠さずに人に話をする性分なので、面接のときも病気のことだけでなく、できることとできないことをしっかりお伝えしました。また、体調によっては欠勤する可能性もあることもお話ししました。そして運のよいことに、今の仕事に就くことができました。私が急に入院する可能性もあるので、上司が私の仕事をフォローする人を必ず1人配置してくれており、いつでも引き継ぎができるようになっています。そうした環境で今はリモートワークも含めてフルタイムではないですが週3日ほど働いています。

-仕事を継続するためには、やはり職場の理解が必要ということですね。

そう思います。仕事を継続するためには、職場の人の協力と理解は私にとって一番必要なことです。たとえば、仕事が立て込むと何か手伝おうかとか、声を掛けてくれることもよくあります。さりげなく、困っていたら手伝うよとか、これをやっておこうかとか、そういった言葉の使い方をしてくださる方が多く、それはとてもうれしいです。この会社を辞めたらこれだけ身体のことを理解してくれて、休みたいときに嫌みの一つもなく休ませてくれる会社はなかなか見つからないだろうなと思っています。もともと仕事が大好きということもあり、仕事ができて、ちゃんとお給料がいただけて、一社会人として世の中とつながっていられることが、日々の心の支えになっています。

-仕事を続けていくために日常生活で工夫されていることはありますか。

1日の自分の体力を頭の中で数値化しています。たとえば、昔は100だったけれども、今は頑張っても60くらいの体力しかないと考えています。この60を基準に、家事で今日やらなければならないのはこれとこれと決めます。そして、その日にしなくてもよいことは省いて、休める時間があれば躊躇なく横になります。1日の体力の配分を仕事に何パーセント、家事に何パーセントと頭の中で割り振り、今は休んでバッテリーをチャージしておかないと午後にこれができなくなるとか、明日は忙しくて休めないから今日はフルでバッテリーをチャージしておこう、今日のうちにしっかりと休んでおこうと、そのようなイメージを持ちながら日々生活をしています。

ブログを始めたがつらいこともある

-がんの患者さんとしての生活やメッセージをつづったブログも書かれていますね。

ブログを始めようと思ったのは、まだがんと診断される前の話です。そのころは仕事ばかりの毎日で、人間らしい趣味がなかったため、以前から興味を持っていたベリーダンス教室に通い始めました。そのベリーダンス教室でできたお友達と意気投合して、いつかレストランなどでショーをすることを夢見て、2人で一緒にベリーダンスのレッスン日記のようなブログを始めたのです。ところが、その直後に肺がんと診断され、腰が痛くてベリーダンスもできなくなったので、結局肺がん患者のブログになりました。

-ブログを始められてよかったことはありますか。

もともと何か情報を発信しようとしたわけではなく、自分のための日記のような感じで書き続けていました。自分の服用している薬のことや副作用の対処についてなど、自分の経験ではこうだったということをできる限り書くようにしているのですが、思いがけないところで他の患者さんのお役にたてたこともあります。

-逆に困られたこと、悩まれたことはありますか。

ブログなどを通してお友達になった同じ病気の人の半分ぐらいは、亡くなられています。そうした方たちのことを考えると、自分が長く生きられていることが申し訳ないように思えて、とてもつらい気持ちになります。つながりが増えると去っていく仲間も増えるのです。そういう現実も受け入れなければならないと考えると、つながることが本当にいいことなのかわからなくなってきます。それに私のブログを読んで、奏効しているから気楽なことをいっていられるんだと思われるかもしれません。しかし、患者さん同士のつながりはとても大切です。私自身も同じ病気のお友達ができることで、気持ちを強く持てる、頑張れるといった経験をたくさんしてきていますし、分断されてしまうのもよくないので、どのようなつながりの仕方がいいのか、今はすごく悩ましく思っていて、最近はブログの更新もついつい遅れがちです。

周囲の人に「頑張って」といわれるのは嫌

-周囲の方たちにしてもらってうれしかったことはありますか。

たとえば、どこかに出掛けようよといって誘い出してくれるときに、自宅の近くまで来てくれるとか、車で迎えに来てくれるとか、そういう思いやりをとてもありがたいと感じます。長く歩くと骨に痛みが出てくるので、あまり私に負担がかからないように、でも一緒の時間を過ごそうとさりげなく気遣ってくれることに、すごく感謝しています。

-嫌なことはありますか。

あまりありませんが、「頑張って」といわれるのは嫌ですね。特に、がんではない方から「頑張って」といわれると、素直な気持ちでいってくださっていると、頭では理解しているつもりですが、「わからないかもしれないけれど、結構私は頑張っているんです。これ以上どう頑張ればいいのか」と、ひねくれたような気持ちになってしまいます。その一方で、私も頑張っているというアピールをあまりしたくないので、痛みなどをあまり顔に出さないように、元気そうなふりをしてしまいます。そのため、「これぐらいのことならできるでしょう。元気なんでしょう」といった感じでみられることもあり、それがつらいこともあります。

視野が広がり感謝の気持ちが強くなった

-病気になる前と今で気持ちの変化はありますか。

ものの見方が変わり視野が広がったことと、人に対する感謝の気持ちがすごく強くなったことです。初めは何も感じられず、ただ憑かれたように治療していたのですが、自分の気持ちがだんだん落ち着いてくると、周りのたくさんの人に支えられているということを感じられるようになり、感謝する気持ちがとても強くなりました。病気になる前は自分中心の考え方をしていたように思います。特に職場では、ある程度仕事をこなしてきた自分を過大評価し、おごっていた部分もあったと思います。しかし、この病気になってこれまで接することのなかった様々な地位や職種の方たちと知り合い、人それぞれにいろいろな立場があることがわかりました。私が知らないだけで、この人はつらいことを隠しているだけで、本当はすごく頑張っているんだというような、人に対しての見方ができるようになりました。そうした人たちと一緒に治療に向かって頑張ることで、気持ちを理解し合えるという経験もしました。しかも、自分では思ってもいないところで自分を支えてくれている人がたくさんいることにも気づきました。物事は一方向だけを見ていてはいけない、自分は本当に狭い穴から物事を見ていたということに気づかされた、それが一番大きく変わったことだと思います。

今後は同じ病気の人のためになることをしたい

-現在はどのように生活されていますか。

今は週2日だけ職場に行き、朝9時半から5時まで仕事をしています。月に1回病院に行く他は、家事と療養、そしてリモートでの仕事をしています。うちの近くにお寺があり、そこには植物園もあるので、お散歩コースには事欠きません。休養は必要ですが、あまり動かないとかえって体力が衰えるので、天気がよい休みの日には自分の状態を見ながら散歩します。穏やかにまったりと日々を送っています。

-これからの目標、やりたいことはありますか。

今はこれだけ元気なので、仕事ではなく、ボランティア的なことでもよいので、同じ病気の仲間の力になれることを何かしたいと思っています。たとえば、私はファイナンシャル・プランナーの資格を持っているので、がん患者さんのお金に関するサポート的なことが可能です。支援制度の申請方法や、受けられる補助などのアドバイスができるようになれたらいいなと漠然と考えています。

-最後に、患者さんやそのご家族にメッセージをお願いします。

とにかく治療は頑張る、副作用に対しての対処、日ごろのお手入れも頑張ることが大切です。ただ頑張った分、どこかで息抜きをして、リフレッシュすることも必要です。がん患者なのだから食事制限をしなければいけないとか、こんなことをして遊んでいては危険だとか、そういう言葉に惑わされず、楽しいことは目一杯楽しんで、やりたいことは諦めずにやって、食べたいものは迷わずに食べて、しっかり笑ってください。私自身もそうしたことを毎日自分にいい聞かせながら生活しています。